2019.01.18

神と香りを巡る物語(2)旧約聖書にも記された乳香・没薬・シダーウッド

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人類と香りとの関わり合いは、古くはネアンデルタール人の時代までさかのぼるといいます。

中でも乳香(フランキンセンス)と没薬(ミルラ)は、黄金に匹敵するほど貴ばれ、神々と心を通じ合わせるための香りといわれてきました。

1回目は古代の宗教儀式に欠かせなかった乳香と没薬について。

2回目の今回は、乳香・没薬の産地として栄えたといわれているシバの国の女王とキングソロモンの物語をご紹介しましょう。

3回目の最終回は香り使いの名人、クレオパトラ美の秘密を探ります。

シバとはどこにあった国?謎めく女王の存在

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「シバの女王」はオペラやシャンソンで歌われ、バレエの演目などにもなっています。ところが、彼女について書かれている書物は旧約聖書のみ。

それ以外は、古代のどの書物にも登場しません。

シバの女王は架空の人物ではないかといわれ、シバという国もどこにあったのかさえも定かではないといいます。

シバの女王と香料についてのエピソードは、旧約聖書の「列王記上」の章に書かれているソロモン王との対面シーンに描かれた一節。それは紀元前950年頃のことだといわれています。

黄金や宝石の山、そして香辛料を携えてイスラエルへ向かうシバの女王

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ダビデの後を継いだイスラエル3代目の王、ソロモンは神から「知恵と富」を与えられ、非常に賢い人物だったといわれています。

その噂を聞いたシバの女王は、ソロモン王がいかに賢いかを試してみたいと考え、知恵比べに挑みます。この時、イスラエルへおびただしい宝物を携え、3か月以上もかけて旅をしたそうです。

何トンにも及ぶ黄金やめのう、エメラルド、ガーネット、琥珀などの宝石の数々。そしてたくさんの香辛料の中に、当時は大変高価だった乳香や白檀(サンダルウッド)も含まれていたといいます。

女王が持って行った乳香は、砂漠の向こうにあるオマーンの山から採れるもの。また、めのうやエメラルドなどの宝石は、主としてエチオピアで採れるものです。

このため、シバ王国の場所がどこにあったのか、なかなか推測できにくくしているともいわれています。

出会った瞬間にお互い強く惹かれあい、結ばれたという2人

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シバの女王からのすべての謎かけに淀みなく答えたというソロモン王。

象牙や黄金、宝石に彩られた豪華な宮殿や、堂々と威厳に満ちたソロモン王の精悍なたたずまいに圧倒され、女王はすっかり王に魅せられてしまったそうです。

一方のシバの女王も頭脳明晰で、クレオパトラに劣らず絶世の美女だったといいます。中でもその脚が大変美しいという評判を聞いた、ソロモン王はぜひ一目見てみたいと思いました。

このため謁見室の床を水晶で覆い、女王に水が張ってあると勘違いさせました。

王の近くに行くため、仕方なくドレスのすそをたくし上げさせ、女王の美しい脚を見ることができたというエピソードが残されているそうですよ。

旧約聖書には「女王の願いのすべてを叶えた」と書かれているのみで、二人の間のロマンスについては具体的な記述はありません。

しかし、エチオピアではその後、女王は再び故郷に戻り、王の子どもであるメネリク(バイナ・レフケム)を出産。

当時、シバ王国の領地であったアクスム王国(エチオピア)の始祖、メネリク一世になったと、言い伝えが残されているそうです。

シバの王国があった場所、有力なのはエチオピアかイエメン

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シバの国は「北アフリカのエチオピア地方」、「中東のペルシャ地方」、「コモロ諸島(マダガスカル島の西)」、「南アラビアのサバ王国(現在のイエメン)」など、数々の説がとなえられています。

最もが有力視されているのが「イエメン」説と「エチオピア」説です。

イエメンは「幸福のアラビア」とも呼ばれ、交易の集散地として繁栄。白檀などのインド産香料もたくさん入ってきていたそうです。イエメン説での女王の名前は「ビルキス」と呼ばれています。

イエメンには高度な文明をもっていた古代都市が地中にたくさん眠っており、香料ロードと呼ばれるキャラバンルート上に存在しています。

しかし、政情不安定な地区ということもあり、発掘や調査が思い通りに進んでいません。

一方エチオピアでは女王は「マケダ」と呼ばれ、先ほどご紹介したとおり、女王と王とのロマンスと後日談が残されています。

二人の間の息子、メネリクが治めたというアクスム(エチオピア)には、100室以上もある巨大な宮殿跡や古代アラビア語のような文字が刻まれた石版なども発見され、それが候補地として有力視される根拠になっています。

こちらもほとんど発掘が進んでいないため、シバの王国はいまだに特定されていないのです。

失われたアーク(聖櫃)とともに衰退したソロモン王国

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ソロモン王が統治した時代のイスラエルは最も繁栄した時期といわれています。

エジプトのファラオの娘を妻とし、700人の妻(正妃)と300人の愛人がいたとか!

これにより12の部族を統一し、さまざまな国との交易を持つことで、壮大な王国を築き上げたのです。

ソロモン王は、モーゼがシナイ山で神から与えられた契約、「モーゼの十戒」が書かれた石版を納めたとされる「契約の箱」を、父であるダビデ王から託されていました。

この箱をモチーフにつくられた映画が、あの有名な「インディ・ジョーンズ レイダース/失われたアーク(聖櫃)」ですね。

ソロモン王は「契約の箱」を祀る祭壇を建設。ダビデ王の遺言でもあったヤハウェ神殿も作っています。

シダーウッドの近縁種であるレバノン杉で作られた神殿

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ソロモン王の最も大きな功績のひとつとしてヤハウェ神殿の建設が挙げられています。

神殿建設には大量のレバノン杉(シダー)が必要でしたが、イスラエルには木を伐採し、運ぶ技術がなかったそうです。

このため、ツロ(現在の南レバノン最大の都市スール、ティールとも呼ばれる)の王ヒラムに協力を要請。

レバノンの山から切り出した杉を海路で運び、そこから陸路を使って、エルサレムで神殿建設を手伝ったそうです。

「力」を意味するレバノン杉の学名

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当時使われたレバノン杉(学名:Cedrus libani)は、現在アロマテラピーで使われているマツ科のシダーウッド(学名:Cedrus atlantica)の近縁種といわれています。

精油の含有率が多く、害虫を寄せ付けない効果が高いといわれ、中近東では寺院や船の建造に大変人気の材でした。

古代エジプトでもミイラづくりにおいて、没薬(ミルラ)とともに使われていた香料だったそうです。

レバノン杉やシダーウッドのCedrus(セドラス)とは、「Kedron」というアラビア語由来の言葉。

霊的なパワーを備えていると考えられ、信仰のシンボルとなり、寺院で焚かれる薫香としてもよく使われてきました。

Livani(リヴァニ)はレバノンのことで、寺院や船などの建造にたくさん使われてしまったため、いまではほとんど手に入りません。

このため、アロマテラピーでは近縁種であるシダーウッドが使われています。

シダーウッドの「Atlantica(アトランティカ)」は、アトラス山脈の意味です。別名ホワイト・シダーとも呼ばれます。

もう一つ、シダーウッド・ヴァージニア(学名:Juniperus virginiana)という精油がありますが、こちらはヒノキ科。

別名レッドシダーと呼ばれ、北アフリカが原産地です。Juniperus(ユニペルス)とは、ケルト語でかみつく、不快な刺激があるということを意味します。

Virginiana(ヴァージニアーナ)は、ヴァージニアのという産地を表す言葉。

同じシダーウッドでも全く産地・品種が違い、香り・成分も異なるので、選ぶときは注意が必要です。

シバの女王とソロモン王の息子、メネリク1世が持ち帰ったアーク(聖櫃)

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エチオピアの言い伝えによると、王と女王の間に生まれた男の子メネリクは、成人するとエルサレムまで王に会いに行きます。

この後国に帰る時、神との契約の箱、すなわち、アーク(聖櫃)を盗み出して(王から与えられたという説も)しまいました。

この日を境に神はエルサレムを見捨て、エチオピアに移ったといい、ソロモンは神に見放されたことで、知恵を失い、国は衰退することになったといわれています。

その一方で、メネリクが紀元前930年に開いたエチオピアのサロニモド王朝は、1974年の革命まで3,000年も続いたのでした。

乳香が欲しいために東方遠征を成功させた?マケドニアの王

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その後時代は紀元前300年代へ。

ギリシヤ北方の大国マケドニア(古代ギリシヤ人が建てた国で、現在のマケドニアである旧ユーゴスラビア共和国とは民族的に異なる国)の王、アレクサンドロス三世(アレクサンダー大王)は、父の急死で若くして即位しました。

彼は大変な乳香(フランキンセンス)好きで、少年時代は「神のため」といいつつ、この貴重な香料を大量に焚いていたそうです。

当時、彼の家庭教師を務めていたアリストテレス(ギリシヤの哲学者)から、「乳香を産する土地を征服したら、惜しげもなく焚いていい」といさめられるほどだったとか。

そこで彼は王位に就くと、シリアやエジプト、ペルシャを含めた東方遠征を行い、東西に及ぶ大帝国を築き上げました。

この時、ギリシヤ文明とオリエント文明が融合し、新たなヘレニズム文明を生み出したことで知られています。

アレクサンドロス三世は目的を遂げ、思う存分勝利の香り「乳香」を楽しんだことでしょう。

マケドニアからプトレマイオス王朝、そしてクレオパトラへ

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アレクサンドロス三世が亡くなった後、彼の部下であるプトレマイオス(マケドニア人)が創始したプトレマイオス朝。

古代エジプトのヘレニズム国家の一つで(紀元前306年~30年頃)、ギリシヤ系の王朝です。

首都であるアレクサンドリアは大変繁栄。王家の庇護を受け、たくさんの書物が所蔵されたアレクサンドリア図書館がつくられました。

この図書館には優れた学者たちが集まり、知恵と英知を磨いたといわれています。

プトレマイオス王朝最後の女王といわれるのが、かの有名な美女、クレオパトラ7世(紀元前69~30年頃)です。

首都アレキサンドリアを中心に香料の一大集散地として栄えたエジプト、クレオパトラは、まさにほしいままにさまざまな香料を使っていたといいます。

次回3回目の最終回は、このクレオパトラが愛した香りの数々と、美の秘密に迫ります。